SORI YANAGI A DESIGNER | 日本を代表する工業デザイナー、柳 宗理

SORI YANAGI A DESIGNER | 日本を代表する工業デザイナー、柳 宗理

家具や照明のほか、歩道橋、東名高速道路東京料金所の防音壁、札幌冬季オリンピックの聖火台など様々なデザインを世に送り出し、その業績は国内のみならず、海外からも高い評価を受けている日本を代表する工業デザイナー、柳宗理(やなぎ そうり | 本名:やなぎ むねみち)。
柳宗理の顔とも言える、日本家屋に合わせてデザインされたバタフライ・スツールは、1957年ミラノ・トリエンナーレの金賞を受賞し、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やメトロポリタン美術館、ルーブル美術館、アムステルダム市立美術館のパーマネントコレクションとなっています。

「本当の美は生まれるもので、つくり出されるものではない。」
柳宗理が手掛けてきた数々のプロダクトはその言葉に集約されています。
用いられるためのものだから何よりも使いやすくなければならない。 その上で美しさは生まれてくる。 それは表面的なものではなく、自然と湧き上がる美しさ。
柳宗理は、余計な装飾や意味のない意匠を嫌い、道具の本当の意義を見いだし、「用の美」をものづくりの信念としたデザイナーです。

1915年、のちに民藝運動を起こし、日本民藝館初代館長となる柳宗悦の長男として生まれた柳宗理。
誰も見向きもしなかった頃から日本各地の民藝品を集めていた父の影響で、幼い頃から多くの骨董品に囲まれて生活していた柳宗理は、次第にそれら古くさい品々をこよなく愛する父に対して反発心をもつようになります。
その反発心から前衛芸術を学び、その後バウハウスから帰国した水谷武彦の講義をきっかけに、現代は機械・科学の時代であり、これからのデザインは社会のため、用途のためにあるべきで社会との関係性の中で生きていくべきということを認識します。
大量生産により求めやすい価格を実現し、新しい素材や技術も積極的に取り入れて耐久性や機能にもこだわる日常品。それが柳宗理が目指すものでした。
その後、バウハウスについて学ぶなかでル・コルビュジエを知り、コルビュジエの著書「輝く都市」に感銘を受け、大学卒業後はコルビュジエの弟子、シャルロット・ペリアン女史のアシスタントとなります。
現代工藝の指導のために来日したペリアンと行動を共にするなかで、地方の民家や民藝品に対して強い興味を抱き夢中になるペリアンの姿に触発され、父親の思想を再度見直すこととなります。
一旦は拒んだ民藝。しかし、ペリアンを通じて、「伝統と創造」というのは同じところにあると気付き、民藝の中に人間生活の原点があり、機械・科学時代において、かえって学び得るものがあると感じます。
民藝の素晴らしさを再認識させられるのです。
もともと手仕事の中にある美は認めていた柳宗理。 それをどう次の世代に繋ぐかをプロダクトデザイナーの視点で考え始めます。

手仕事の民藝に象徴される用の美という概念と、機械・科学時代が生んだモダンデザインという、一見すると二律背反するふたつの要素が融合して柳宗理というデザイナーが生まれたのです。


バタフライ・スツール、象脚(エレファント・スツール)をはじめとして、ステンレスのカトラリーやキッチンツール、セラミックやボーンチャイナのテーブルウェアなど、柳宗理のデザインに魅了された人は国内外問わず多い。 トム・ディクソン、リチャード・ハッテン、ジャスパー・モリソン。彼らもそうでした。
そして、柳宗理の人生を語る上で決して外すことのできない人物、シャルロット・ペリアン。 来日したペリアンの助手を務めて以来、60年間にも及んだ二人の親交。
そして、柳宗理は奇しくもペリアンと同じ96歳という年齢で生涯を閉じました。

2011年12月25日 柳宗理逝去


バタフライ・スツール (柳宗理)
バタフライ・スツール (1956)
イームズのもとを訪ねた柳宗理が、成形合板で作られたイームズのレッグスプリント(副木)に出合ったのがはじまり。革新的な木工技術を用いたその成形合板で何か作れないかと塩化ビニールを無意識に手で動かしているときに、偶然できたかたちがこのバタフライスツールの原型になったといいます。もともとは畳擦りを考慮し、真っ平らな底面であったことや、正面からのフォルムが、“天”という漢字や神社の鳥居を連想させることなど、いかにも日本的な情緒を持ち合わせたスツールです。
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シェルチェア (柳宗理)
シェルチェア (1998)
扇状に展開したプライウッドをすぼめてデザインされ、驚くほどしなる背もたれは、柔らかく体を包み込む座り心地を実現しています。背もたれの穴は柳宗理のトレードマークがモチーフです。
ステンレスケトル (柳宗理)
ステンレスケトル (1994)
機械任せにできる部分が少なく、研磨や溶接に熟練工の手が必要な手間が掛かるケトル。2Lの容量にしては底面が大きく、「がきデカ」のこまわり君を思わせるユーモラスな形状で、お湯が早く沸きます。
ステンレス片手鍋 (柳宗理)
ステンレス片手鍋 (1999)
柳宗理のキッチンウェアは、組み合わせて使うことを想定し、サイズ設定されています。鍋やフライパン、ザルやボウル、サイズを合わせれば重ねて使え、蓋が共有できます。鍋は両側に注ぎ口がついているので右利き左利き、どちらでも使用可能。また、蓋を少し回転させて鍋との隙間をつくることで、蒸気を逃がしたり、吹きこぼれを防ぐことができます。
ステンレスボウル (柳宗理)
ステンレスボウル
柳宗理が料理研究家や主婦の意見に基づき、長い間研究を重ねてデザインしたボウルとストレーナー。ボウルは5種類それぞれが深さやカーブが異なり、用途を考えた使いやすい形状になっています。鍋やボウルなど柳宗理独特の柔らかな形状のフォルムには、最大限の機能が隠されています。
カトラリー (柳宗理)
カトラリー (1974)
フォークのカーブや刃先の深さ、ナイフの広さも計算しつくされ、使えば使うほど完璧なカトラリーだと実感します。ジャスパー・モリソンをも曲線がファンタスティックで美しくバランスがいいと唸らせました。
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エレファント・スツール (柳宗理)
エレファント・スツール (1954)
1956年にコトブキ社から発売された象脚(エレファント・スツール)。その後、1998年にハビタ社のディレクターに就任したトム・ディクソンが柳宗理のアトリエを訪れ、懇願して復刻が実現しました。そのときトム・ディクソンの助手として同行していたのがリチャード・ハッテン。「伝説」に出会うタイムトリップのような、エキサイティングな体験だったと語っています。
※現在は素材をFRP(Fiber Reinforced Plastics)からポリプロピレンに変更して再復刻
曲木鏡 (柳宗理)
曲木鏡 (1975)
秋田木工で作られているこの鏡は、現在秋田木工でしか作れないといわれています。1本の良質の長尺ブナ材を蒸煮し、鉄の型に沿わせてつくられ、細部にも繋ぎ目を感じさせません。この技術を継承する職人も減り、柳製品の中でも鏡は貴重な存在です。
ファブリック (柳宗理)
ファブリック (1998)
1998年池袋セゾン美術館で開催された展覧会、「柳宗理のデザイン−戦後デザインのパイオニア−」のためにデザインしたファブリック。美しい色とミッドセンチュリーを感じさせるクラシックな風合いが和にも洋にも調和します。
ティーポット (柳宗理)
ティーポット (1948)
ティーポットをはじめとする白い無地の洋食器シリーズは、当初売り込みに行った百貨店のバイヤーに、「絵付けもされていない半製品は売れない」などと突き放されました。しかしその後、銀座のある喫茶店のオーナーが気に入り店で採用したところ、口コミで広がり一般にも広く受け入れられ人気を博します。のちに新宿の風月堂でも使われ、白いティーポットとコーヒーカップは新しい時代のデザインの指標となるのです。
※現在は素材を硬質陶器からボーンチャイナに変更して復刻
コーヒーカップ&ソーサー (柳宗理)
コーヒーカップ&ソーサー
日本茶にもミルクにも似合うカップ、羊かんをのせてもパスタをのせても美味しそうに感じられる皿。柳宗理のセラミックの食器を使う誰もが「洋食にも和食にも合う」と言います。陶器より強度があり、磁器より軽量なセラミックに、独特の柔らかな表情を与えて仕上げたシリーズです。
レードル (柳宗理)
レードル (1974)
使いやすく耐久性があり、飽きがこない。そして清潔であること。それが柳宗理がデザインするキッチンツールのコンセプト。レードルやスキンマーはどれも繋ぎ目がなく衛生的です。用いられるためのものだから何よりも使いやすくなければならない。その上で美しさは生まれてくる。 ここにもまた、道具の本当の意義を見いだし、「用の美」を求めた柳宗理の信念が伺えます。

以上、柳宗理の代表的プロダクトを一部掲載

参考文献:
Casa BRUTUS No.11 SORI YANAGI A DESIGNER (マガジンハウス)
デザイン 柳宗理の作品と考え (用美社)
デザインの瞬間−創造の決定的瞬間と先駆者たち (角川学芸出版)